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戦後の混乱期、主要な都市は焼け野原状態、物資が不足する中で燃料や建築資材の確保のため、日本各地で自然林の伐採が行われました。富士山も例外ではなく、伐採は標高の高い夏緑樹林帯にまで及びました。伐採後は低地ではスギやヒノキが植えられ、高地にはウラジロモミなどが植えられました。伐採と植林は昭和40年代まで続き、初期に植えられた林は現在、うっそうとした暗い森になりました。地面に光が射さないため下草が育たず、本来の生態系は失われました。後期には一気に大面積の伐採と植林が行われました。
裾野市水ケ塚では富士山の手前に広大な人工林が広がっており、現在、生育が進みつつあります。(画像)
当時、この造林事業に携わった営林所元職員の中からも、「治山、治水の面からもウラジロモミを半分ほど間引くなりして森を自然に近い状態にすべきだ」との声が聞かれました。(記・1994年頃)
1996年(平成8年)9月22日の台風17号で、南麓一帯の森に大きな風倒木被害が発生しました。中でも被害が大きかったのは針葉樹林帯のシラビソ林と夏緑樹林帯のヒノキやウラジロモミの人工林でした。被害を受けたウラジロモミ林は標高の高い場所ではそのまま放置され森の再生は自然に任せられました。
標高の低い場所の一部では市民団体などによって落葉広葉樹などの植林が行われました。放置された場所でも多種多様な樹木が一斉に育ち始めています。(画像左下・標高1,200m)
2007年8月、静岡森林管理署担当課長の話を聞くことができました。「ウラジロモミは製紙チップ材として植林されたが高所まで植林しすぎた。また、資源として利用する価値はない。現在、大沢方面で3割ほど間引く作業を始めた」とのことでした。
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