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日本の自然 富士山
第6巻「水の旅」より

参考資料
諏訪彰 編
「富士山 その自然のすべて」同文書院

立体図は国土地理院50mメッシュ数値地図を使用。

宝永噴火

宝永火口 火山灰の厚さ
山頂の火口を凌ぐ最大直径1000メートルの宝永火口と降り積もった火山灰の厚さ
 西暦1707年、東南海地方にマグニチュード8.4という巨大地震が起こり、激震と津波によって東海から四国にかけて、甚大な被害を受けました。地震から49日後、その余震も収まらない中、激しい火山性地震を伴いながら、宝永の噴火は始まりました。
 1707年12月16日午前10時、南東側の山腹をつき破って大爆発が始まると、折からの西よりの風により、軽石や砂が火口の東側一帯に降り注ぎ、たちまち麓の村々を埋め尽くしてゆきました。古文書の記録には、最初は白い灰が、つづいて軽石が降り、やがて熱い石が降って落ちると砕けて燃え上がったと記されています。火口東側の須走村は、3メートルもの火山灰に埋まり全滅。また、今の御殿場市から小山町にかけての村々も、壊滅的な被害を受けました。火山灰は遠く離れた江戸の町にまで到達しています。
宝永火口
十二薬師
宝永第一火口と山体内部の割れ目で固まった溶岩が爆発で露出した十二薬師とよばれる岩脈。
宝永山
古富士火山の地層
 火口壁東側の宝永山(標高2693メートル)の赤岩は爆発で山体内部から押し上げられた古富士火山の地層といわれています。

 この噴火によって降り積もった火山灰の量は0.7立方キロメートルにもなる膨大なものでした。火山灰に厚く覆われた御殿場側の斜面は、300年の時を経た今でも、黒い砂礫の火山荒原が広がっています。噴火の後も土石流などの二次災害が発生し、壊滅した麓の村々が復興するのに、30年以上の歳月を要しました。宝永噴火から約300年間、富士山は静けさを保ってきました。しかし、火山にとってこれはほんの一瞬の休息にすぎません。

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